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2012年12月 5日 (水)

「視覚しょうがい者」に固有の文化はあるか?

 皆様こんばんは、今日は穏やかな東京、お元気にお過ごしでしょうか?

 さて、ぼくは最近「視覚しょうがい者は固有の『文化』を持っているのだろうか?」という命題を考えています。色々な人とお話しし、先日は函館の友人と2時間に渡る議論の末、私は「視覚しょうがい者は固有の『文化』を持っていない。」という結論に達しました。皆様にとっては、それほど興味のある問題ではないかもしれませんが、まあしっかり考えたのだから、文章にしておこうと、書き始めています。

 まず『文化』とは、「大辞泉」によれば
【文化】
①人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきたカルチュア。「日本の―」「東西の―の交流」

②上記①のうち、特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。物質的所産は文明とよび、文化と区別される。

とありましたので、これを定義としたいと思います。
 その上で、「日本文化・東洋文化、西洋文化」などというように、文化には一定の条件、地理的・言語的・民族的・宗教的・個性的(しょうがいなど)条件があるように思います。つまり、これらの条件によって「閉じられている」といえるでしょう。
 私は詳しくはないのですが、たぶん平安時代の終わり頃から、視覚しょうがい者は幾つかの職業に就いていることが多かったようです。「あんま・鍼灸」などを行う者、日本音楽を演奏する者、仏などに仕える者、これらは複合していることもありました。「耳なし芳一」は琵琶を弾ずるお坊さんですし、東洋医学では「身体一如」などともいいますから、思想的にもそれほどかけ離れてはいなかったようです。
 その後、江戸時代に入ると、視覚しょうがい者独特の身分制度が将軍によって認められたようです。
 ただ、これらは音楽で言えばお客様が、鍼灸で言えば患者さんがいらっしゃる訳で、その方たちの役に立たなければ職業にはなりません。つまり視覚しょうがい者の間だけで「閉じられていた」訳ではなく、広く社会に目を向けていたはずなので、「日本文化」と言えるでしょう。

 ぼくが初めてぼくと同じ視覚しょうがい者と会ったのは、八王子盲学校の幼稚部に入った時で、中学校の時に英語を教えて下さった先生と、高校に入ってから英文タイプなどを教えて下さった、共に視覚しょうがい者の先生はいらっしゃいましたが、視覚しょうがい者としてのスキル?、あるいは「今の社会の中でどう生きたらいいのか」などについて、視覚しょうがい者の先生や先輩に教えて頂いたという記憶もありません。ぼくが現在のぼくであるのは、多くの人々からの「指導」であり、視覚しょうがい者に限ったことでは全くありません。
 という訳で、「視覚しょうがい者は固有の『文化』を持っていない。」という結論に達しました。
 きっと視覚しょうがい者の中では議論のあるところでしょうね。

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