« 2015年9月 | トップページ | 2017年12月 »

2017年5月

2017年5月14日 (日)

川越へ

 皆様こんばんは、今日は1日雨の降り続く肌寒い1日でした。
 そんな中、「文京区芸能・文化を楽しむしょうがい者の会」の
イベントで、川越を訪れました。参加者は13名、高齢の方も
いらっしゃるので、特急を使っての旅となりましたが、みなさん
喜んで下さったようで、とても良かったなあと思いました。ただ、
雨が酷くて、みなさんには申し訳ないなあと反省もしきりで、天気
予報によってはイベントを中止にすることも含めて考えた方が
いいかもしれません。
 忙しくしていると叔父のことは思い出さないのですが、深夜
一人でいると、色々と思うこともありますね。

2017年5月10日 (水)

悲しみの中で

 皆様こんばんは。
 今日は雨の、曇りの少し陽がさしたりの1日でした。
 今日は叔父の告別式、とても辛い時間でした。今日で叔父と
お別れ、7日まで生きていた叔父が、跡形もなく消えてしまう
日なのです。これをぼくはどうにも受け止めることができないで
いるのです。
 「人を火葬にする」なんて酷い、野蛮なことでしょう。叔父の
手の肌触りが思い出の中のことになってしまう。そして、無機質な
骨だけが残るのです。そう、ぼくの身にもいつか、、、確実に
訪れる瞬間なのです。「もう死んじゃっているんだから熱くも
なんともないんだよ。」もちろんそうだとは思います。でも
受け入れられない。恐ろしい時間でした。
 その中でふっと考えたことがあるのです。ぼくが生まれた時は
どうだったんだろう。なにもない「無」の中から生まれて
きたんだと思います。そして「無」に帰っていく。ぼくを構成して
いた物質が宇宙に向かって試算し、またそれが森羅万象を構成する
要素となる。
 つまりぼくが宇宙で、宇宙がぼくなんだということに気が
つきました。ぼくは待合室を出て、少し陽のさしている戸外へ
出ました。爽やかな5月の風、その中に叔父がいるんだと
感じられました。胸いっぱいに呼吸する、そのことでぼくは叔父を
身体に取り戻すことができるのかもしれません。
 ぼくは仏教のことを学んだわけではないのですが、「無」という
のはこういうことなのではないかと思ったら、少し、ほんの
少しですが気が楽になりました。

2017年5月 8日 (月)

悲しい日

 皆様こんばんは。
 今日は夏のように暑い1にちでした。
 さて、私の叔父であり、事実上ぼくの父である天野喜久蔵が、
2017年、5月7日の午前1時40分に亡くなりました。97歳でした。
 たくさん書きたいことはあるのですが、また明日にしますね。
そう、今日はぼくの53歳の誕生日です。でも、ぼくにとっては
悲しい、悲しい誕生日です。
 明日はお通夜、明後日は告別式、精神的に辛い日々が続きます。

2017年5月 7日 (日)

恐ろしい

 みな様こんばんは、とても久しぶりに部ログを更新することに
しました。
 ぼくの叔父が意識がないとの連絡がありました。叔父はぼくに
とって父のような存在で、ずいぶん逆らったこともあったけれど、
多くの場面でぼくを支えてくれていました。今97歳、100歳まで
生きるんだ、というのが叔父の口癖だったのに。。。体調を
崩してからは、毎回「これが最後かもしれない。」と覚悟を
しながら帰宅したのですが、いざそんな連絡がくると、とうしたら
いいのか良く分からない自分がいるのです。あまり意識しては
いなかったけれど、ぼくの基本的な土台のような人だったんだと
今になって良く分かるのです。そして、いずれはぼくも死ぬことに
なる、ああなんて恐ろしいことでしょう。ぼくの心は乱れ、震えて
いるのです。この震える心を抱きしめて眠りましょう。きっと眠れ
ないことでしょう。

« 2015年9月 | トップページ | 2017年12月 »