文化・芸術

2015年6月23日 (火)

田辺凌鶴の会

 皆様おはようございます。露湯の変わりやすい毎日ですがお元気
でしょうか?
 ぼくはこのところちょっと忙しくて、でもブログのネタはたくさ
んあるので書いていきますね。

6月21日第三日曜日。
田辺凌鶴さんの講談を聴きに行きました。
午後に 二子玉で、点字のカルチャーの仕事だったので、急いで行
きました。
会場のある新宿は、駅を出ると、人が沢山いるし、ビルのスクリー
ンライブの大音響に合わせて 踊る人もいて、いつもいる環境とは
大違い!
若い人の行列や、面白そうな食べ物やさんを抜けて、会場に到着。
エレベーターを降りて、静かな部屋に入ると、ホッとしました。
ちょっと余談ですが、会場の部屋の手前に 別の部屋のドアがある
のですが、そのドアに 《ドアが開く事があります》 と、書いてあ
ります。
多分、突然ドアが開いて、ぶつからない
為の注意なのでしょうが、ドアなんだから開くだろう!なんて、ツ
ッコミたくなりました。
さてさて、お出迎え下さった  前講は、神田こなぎさん。
夏の装いで、涼しげなこなぎさんが、昔、ベリーダンスをされてい
たとのこと。内に秘めた熱いものも、お持ちなんですね。
後実家の山梨で、武田信玄まつりがあるそうで、私の先祖も 信玄
と縁があるので、一度訪ねてみたいです。
さてさてさて、
待ってました、凌鶴さん!
「名優 中村少長 中村七三郎」
「夕張再生市長 鈴木直道」
の二つ。
私は、夕張の話が、心に残りました。
何も分からず、誰も知らない土地で、仕事に励み、後に、心を通わ
せた市民のために、自分の人生をかけて頑張る鈴木市長の話は、講
談の正に人情噺でした。

講談会の後、凌鶴さんも着替えての、懇親会。短い時間ながらも、
凌鶴さんを応援する気持ちに溢れた楽しいひと時でした。
その場に居合わせた皆んなで、夕張に行こう!なんて話も。
もちろん、こなぎさんもね!

2015年5月21日 (木)

ボランティア養成講座

Photo

文身連(文京区心身障害福祉団体連合会)では、
ボランティアの養成講座をおこないます。

興味のある方は文身連事務局まで、
お気軽にお問い合わせください。

住所:112−0033 東京都文京区春日1−16−21
電話:03−5803−1115

2013年1月23日 (水)

クラウスは雪が好き

 みなさまこんばんは、今日はそれほど寒くない東京です。
お元気気にお過ごしでしょうか?
 さて、14日の月曜日、東京は大雪、ぼくは文京区の視覚
しょうがい者協会の新年会で出かけていました。といっても、
歩いて5分ぐらいの所なのですが。
 出かけたのは10時頃、まだ雨でした。予報では雪がちらつくかも
しれない、というぐらいの話でしたよね。準備をしていると、
ヘルパーさんたちが「外は吹雪ですよ。」なんていって
いたのですが、まるでぴんときませんでした。
 12時から新年会が始まり、ぼくもくじびきの司会なんかを
してました。4時頃外へ出ると、なんと10センチぐらい
積もっています。クラウスは嬉しくなったのか、飛び跳ねたりして
います。やっぱり雪は好きみたいで、また横断歩道も車の轍の所
以外はしっかり雪が積もっていて二人で帰るのは大変そう。偶然
友人の魚屋さんが部屋まで送ってくれたのでなんとか
帰れましたが、クラウスと二人では難しかったかもしれませんね。
 水曜日、近くまで出かけました。まだ雪がしっかり残っていて、
凍っているので滑りそう、でもこの日はクラウスちゃんと雪のない
所を選んで歩いてくれました。ほんとうにおりこう!無事に帰って
くることができました。
 風邪が流行っているようですね。みなさま気をつけて。

2013年1月 1日 (火)

新年明けましておめでとうございます!

 みなさま新年明けましておめでとうございます。
 東京はとても穏やかな新年を迎えることができました。みなさま
どんな時間をお過ごしでしょうか?
  私にとって昨年は、少しずつ立ち上がる年になりました。
人生について、もう一度前向きに取り組んでみようと、ホーム
ページをリニューアルし、自伝の執筆も始めています。ぼくの
ことですから何時になるかは分かりませんが、少しずつ書き進めて
行こうと思っています。
 今年はまず心身共に健康でいること、そして自分の仕事に
誠実に、一つ一つのステージをさらに質の高い物にし、またぼくで
ないと歌えないような新たなレパートリーを獲得して行きたいと
思っています。
 また日本はそれほど景気が良くなるとは思えません。そんな
中で、親しい友人や周りの方々と、共に手を取り合って生きて行く
ような、そんななみなさまとの繋がりを大切にして行きたいと
思っています。
 どうぞ今年も宜しくお願い申し上げます。

2012年12月 5日 (水)

「視覚しょうがい者」に固有の文化はあるか?

 皆様こんばんは、今日は穏やかな東京、お元気にお過ごしでしょうか?

 さて、ぼくは最近「視覚しょうがい者は固有の『文化』を持っているのだろうか?」という命題を考えています。色々な人とお話しし、先日は函館の友人と2時間に渡る議論の末、私は「視覚しょうがい者は固有の『文化』を持っていない。」という結論に達しました。皆様にとっては、それほど興味のある問題ではないかもしれませんが、まあしっかり考えたのだから、文章にしておこうと、書き始めています。

 まず『文化』とは、「大辞泉」によれば
【文化】
①人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきたカルチュア。「日本の―」「東西の―の交流」

②上記①のうち、特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。物質的所産は文明とよび、文化と区別される。

とありましたので、これを定義としたいと思います。
 その上で、「日本文化・東洋文化、西洋文化」などというように、文化には一定の条件、地理的・言語的・民族的・宗教的・個性的(しょうがいなど)条件があるように思います。つまり、これらの条件によって「閉じられている」といえるでしょう。
 私は詳しくはないのですが、たぶん平安時代の終わり頃から、視覚しょうがい者は幾つかの職業に就いていることが多かったようです。「あんま・鍼灸」などを行う者、日本音楽を演奏する者、仏などに仕える者、これらは複合していることもありました。「耳なし芳一」は琵琶を弾ずるお坊さんですし、東洋医学では「身体一如」などともいいますから、思想的にもそれほどかけ離れてはいなかったようです。
 その後、江戸時代に入ると、視覚しょうがい者独特の身分制度が将軍によって認められたようです。
 ただ、これらは音楽で言えばお客様が、鍼灸で言えば患者さんがいらっしゃる訳で、その方たちの役に立たなければ職業にはなりません。つまり視覚しょうがい者の間だけで「閉じられていた」訳ではなく、広く社会に目を向けていたはずなので、「日本文化」と言えるでしょう。

 ぼくが初めてぼくと同じ視覚しょうがい者と会ったのは、八王子盲学校の幼稚部に入った時で、中学校の時に英語を教えて下さった先生と、高校に入ってから英文タイプなどを教えて下さった、共に視覚しょうがい者の先生はいらっしゃいましたが、視覚しょうがい者としてのスキル?、あるいは「今の社会の中でどう生きたらいいのか」などについて、視覚しょうがい者の先生や先輩に教えて頂いたという記憶もありません。ぼくが現在のぼくであるのは、多くの人々からの「指導」であり、視覚しょうがい者に限ったことでは全くありません。
 という訳で、「視覚しょうがい者は固有の『文化』を持っていない。」という結論に達しました。
 きっと視覚しょうがい者の中では議論のあるところでしょうね。

2012年9月22日 (土)

アイメイトチャリティーコンサート

 皆様おはようございます。やっと秋になったような、涼しい
東京です。皆様お元気にお過ごしでしょうか?
 さて、17日はアイメイトのチャリティーコンサートが
サントリーホールの小ホールで開かれ、ぼくも歌わせて
いただきました。
 ほんとうかどうかは分からないのですが、声帯は目が覚めるのに
時間がかかるもので、目覚めてから3時間ぐらいは必要だ、なんて
大学生の頃に聞いたことがあります。またぼくは朝よりも午後、
午後よりも夜の方が、声が良く出るようです。と、いうことで、
声の出やすい時に本番の時間がくるように、ステージの日には調整
するように気をつけています。
 この日のステージは13時半頃の予定、ということで、当日は4時
頃に起きて準備やチェロの練習などをしていました。
 9時過ぎに出てホールに向かいます。10時から練習、まあまあの
感じで終えることができました。が、本番まではまだ3時間、この
間に眠ってしまっては今までの努力がだいなしになって
しまいます。ぼくはスタッフの方に、特に用事もないのに
話しかけたりして時間を過ごしました。

 お弁当は特上!ご飯の上に鮭がのっている、もうこれだけで
鮭弁なのですが、この他に煮物・テンプラ、すき焼きが付いて
いるという豪勢な物でした。ぼくは2曲歌った後でいただくことに
しました。
 いざステージ、今年もK様がいらして下さって会場は満員です。
できはまあまあだったように思います。
 ステージを終えると例年通り銀座の中華レストランで打ち上げ、
その後「天野くん、2次回にいくわよ。」との大命が下り、
そのまま居酒屋へ。解放されたのは12時になろうかという
時間でした。その時点ではぼくは最年少、いやあみなさま
元気だなあ。それはそれは長い1日でした。

 いらして下さったお客様、ほんとうにありがとう
ございました!!!

2012年6月20日 (水)

久しぶりの講演会でした

 皆様こんばんは、
 昨日の台風、酷い雨風でしたね。お見舞い申し上げます。
 そのせいで急に夏になった東京、ぼくは東京都立国際高校で
おしゃべりさせていただきました。学生さん80人ぐらい、先生の
ご配慮でどんな風にみなさんが座っているか、声を出して
いただいて教えていただいたり、ぼくのお話を聞いて
いただいたり、とても楽しい時間でした。皆様積極的に質問して
下さり、また興味を持ってぼくの話を聞いて下さってうれしい
時間となりました。
 皆様ほんとうにありがとうございました。

2012年3月31日 (土)

伊東市でのコンサート

伊東市でのコンサート
 こんにちは、今日は雨風の酷い東京です。皆様
お元気でしょうか?
 さて、昨日は伊東市へ、東京からおどりこに乗りました。周りは
旅行に行く家族や友人たちでほぼ満席。ああぼくも旅に
行きたいなあ、なんて思いながら揺られて行きました。
 伊藤はさすがに暖かく桜もちらほら咲いているとのことでした。
 ステージはうまく歌えたような気がしています。またぼくがなぜ
「反原発」なのかもお話しました。
 大学生の頃、経済学の先生が話して下さったことが心に残って
います。
 「学生運動をしている人々は、アジテーションの時に『我々は』
とか『私たちは』というけれど、最初の『我』は自分のことだから
いいとして、次の『我』は誰のことなのかはっきりしないし、その
人々に確認をとったのかも分からないではないか。」
 そこで、昨日のお話では主語をはっきり言いながら発言する
ように気をつけました。
 このような運動は一つのスローガン、昨日で言えば「全ての原発
今すぐなくそう!」に共鳴している、ただそれだけでいいように
思います。他のことを言い始めると話がややこしくなる。なるべく
シンプルにいきましょう。
  帰りにお土産を買おうと干物や三へ、外の炭火で干物を焼いて
いたおにいさんと立ち話をしました。写真はそのおにいさん
撮影です。今、伊藤はサンマが春とのこと、サンマは
アリューシャン列島から南鳥島まで、長い距離を回遊する、なんて
いうお話を聴きながら味見させていただきました。いやあ
おいしい。きれいな空気、温泉、お魚、とっても豊かな所です。
 お店の裏はすぐ海とのこと、ふと震災でこのようなすてきな
場所が、多くの人々が失われたことを改めて実感し、心の底から
悲しみがわき上がってきました。
 震災は天災ですからしかたがないのかもしれません。でも原発の
事故は今だに制御できず、多くの人々の生活が破壊されたままに
なっている。改めて書きましょう。
 「全世界の原発今すぐなくそう!!!!」